IE9ピン留め

おばあちゃんありがとう

ゴールデンウィークも終わり、
9日は母の日と楽しく過ごせましたでしょうか?

実は、3月に伯父が亡くなったことをお伝えしたこともあり、
お伝えしそびれていたのですが、先頃母方の祖母をなくしました。

私は、祖母にとって初めての孫で、
ものすごく可愛がってもらいました。

5人の子供の中で、唯一の娘であった母が、
私を産んだのは21歳になったばかりの頃で、
今思うと、子供が子供を産んだようで、
とても気にかけてくれたのもあったと思います。

母が、私を宿した時に、体調がとてもすぐれず、
出産までとても大変だったと聞いていますが、
実は生まれてからも大変で、

わたしは赤ん坊の頃は、
今で言うアトピー性の皮膚炎で、
全身に発疹がでるは、

それが治まると小児喘息の発作をおこす
と言った具合で、本当に手に余る状態だったそうです。

母が、いつも私の世話をしてくれたのは
もちろんですが、
この祖母も本当にいつもいっしょになって
世話をしてくれました。

小児喘息は、発作が起きると本当にやっかいです。
気管が炎症をおこして、
気道が狭くなり、たちまち呼吸困難になります。

「ハーハー、ヒーヒー」チアノーゼを起こして
ひどければ紫色の顔になるほどです。

当然、くすりを飲むのですが、
小さかった私は、苦しくて耐えることができません。

そんな時に、母と祖母が交代で、背中をさすってくれました。
手当とはよく言ったもので、ほんとうに楽になりました。

ひどい発作が襲うと、何時間も続きます。
その間、他の家事などもしないといけない母に代わり、
背中をさすり続けてくれたのは祖母でした。

大げさでなく、さすり続けてくれた祖母の手は、
指紋の隆起がなくなり、つるつるになっていることが、
よくありました。

大学生になり、下宿暮らしをして、
体を鍛えて、「最近は、ぜんぜん発作が起きないよ」と
報告する私の顔をみて、ニコニコ喜んでくれたことを、
昨日のように思い出します。

祖母は、6人の子を産み5人の子を育て
(一人を病気で亡くしました)、
12人の孫を手にかけ世話をし、
19人のひ孫の成長に目を細めました。
亡き伯父のお嫁さんである叔母ちゃんの献身的な
介護を受けながらの、幸せな晩年をふくめ、
波乱万丈の96歳の人生を生ききっての大往生でした。

この5月母の日に、いわば、私たちの一族のゴットマザーで
あった祖母をなくした喪失感を、あらためて感じています。

子供たち、孫たちにとって、偉大な存在である おばあちゃん、
いつも私たちを見守って下さりありがとうございました。
どうかこれからも、見守ってください。

# by takakimori | 2010-05-09 06:30 | 今日の花

福祉

鳩山政権になって

子供手当とか、高校の無償化とか
国民にやさしい?政治という政策が
されようとしている。

まさに、ドンぴしゃ
この政策の恩恵うける世代の

私たち夫婦なのですが、

なんだか、釈然としません。

「本当にもらっていいのかな?」

先日、エコノミストの長谷川慶太郎先生が
このような事を言われていました。

「福祉というのは、所得の再配分だ」
「税金の範囲だけでやるべきで、
 国債を発行してまでやることではない」

そう、こういうことだよな!
なんだか、もやもやした思いが
はっきりしました。

たしかに、日本は不況の中です。
また人口トレンドが少子化の影響で縮小しています。

でも、だからといって
借金をしてまで、このような施策をする意味は
本当にあるのでしょうか?

人並みにという言葉と、
憲法は保証する”最低限な文化的生活”
そのことが、ごちゃごちゃになっている気がします。

わたしたちの会社でも、
住宅を購入しようとされている
お客様に

豪華な家、機能的な家が欲しいからと、
過度な借り入れ(自分の稼ぎで返せない)をすることを
ずっと戒めてきました。

とても、当たり前のことですよね?

今、子育てが苦しい人がいるなら、
やはり基本は、基準を設け、苦しい人にのみ手当する。

その財源は、税金できちんと確保する。

過去に日本がした過ちのように
お金持ちに遍重して課税するのでなく、
消費行為(つまりお金をたくさん使う人)に比例して
課税するような、公平性のある税金を集める。
(昔、王貞治さんが現役のころ、稼ぐお金の8割近くを税金に取られた
話は、子供心におどろいた記憶があります、お金持ちが日本から逃げてしまうと)

特に、高校の無償化は、大反対です。
今、日本のこどもたちは、甘やかされすぎです。

高校に入っても、勉強に取り組めない
レジャーに行くような気持ちの生徒がとても増えている。

義務教育とちがって
高校は、学力で「子供を選別する」
今は、高い教育費を負担することで、
その選別に耐える覚悟を本人も家庭もすることになる。

高校を無償化して、入りやすくしたら
本人も家庭もますます安易になります。

勉強しない、自分を磨かないものまで
高卒として世の中に出したら、
高校という機能の責任放棄
社会としての、教育放棄に繋がってしまう。

無償化は、
成績優秀でもっと勉強したい!
でも家庭がまずしい、そういう限定された方だけで
充分と思います。

日本は、不況だけど
豊かな国、まじめに生きるならチャンスの溢れた国です。

どうも、
鳩山さんたちは、
「どうせ、国民は底が浅い。短期的な快楽に弱い。
 借金してでも、お金をバラマケば選挙に勝てる」
そういうパラダイムでしか、国政をみていない気がします。

まったく、国民を馬鹿にした話です。

私は、老いさらばれた時に、若い人に
気を使って年金をもらいたくはありません。

ましてや、大きな借金を
子や孫に残したくもない。

今、子育てが厳しくても
そうおうの負担をし、
現実を直視して

子供を、

私たちの、祖父母、父母がしてくれたように
分相応、謙虚堅実に

育ててゆきたいと思います。

私の意見は、極端でしょうか?


# by takakimori | 2010-03-04 09:38 | 後輩に伝えたい

ぎっくり腰

思えば、20代の後半に

うまれてはじめて、ぎっくり腰になった。

広島サラリーマンの時代

前日に当時担当する家の上棟を控え
近隣挨拶をしている時だった。

車から降りた瞬間
経験したことのない衝撃が腰に・・

それでも、しかたないので
脂汗を流しながら
工事のお知らせのチラシをくばって
近所の方に
悲壮な顔して挨拶をしてまわった。
(みなさんおどろかせすいません。どん引きでしたね^^)

当時つとめていた会社の
営業部長さんが見かねて

ハリ?の先生のところにつれていってくださったが、
約2週間寝込んでしまった。

それから20年、腰痛は、ときどきやってくる。

先週の土曜日、女房に催促され
むすめのひな祭りの人形を出していたら

「あれ?」

久々にくる衝撃

このところダイエットに成功して
しばらくなりを潜めていたのに・・

2日ほど寝込んでみたが、
直る気配なし。

外科病院にゆき
注射をしてもらい腰痛サポーターを
ぐるぐる撒いて出社。

その日、事務機のセールスをしている友人と
あたらしい印刷機のプレゼンを聞く約束。

そしたら彼が

「整体ですごい先生いるから紹介しようか?」

いつもなら、その手の話はあまりきかないのだが、

あまりに痛さに
藁おもすがる気持ちで
いってみる。

結果

おどろいた
わずか15分ほどの施術で
歩けるようになった。

偶然、弊社総務キャップに松下さんも腰痛になっていて

彼女の施術もお願いした。

すると、
腰痛は一発でなおり
さらに何年越しに、まがらなかったクビが
まわるように・・・

すごい!

こういう技術、力は本当にあるんんだ!


その先生

「あなた、昔ヘルニアをやって、直ったあとがあるね」と
数時間前に、レントゲンをとった外科医と同じことを言われた・・

さわるだけでわかるのか!?

何にしても

先生と、世話焼いてくれた友人に大感謝です。


みなさんもご用心くださいね。

ちなみに先生の紹介は、ここではしません。

姫路在住で、痛みでお困りの方
弊社のホームページにそっと聞いていただければ
ご紹介します。

# by takakimori | 2010-02-23 18:50 | 今日の花

あなたの名前の由来を教えてください

突然ですが、
あなたの名前は、なんですか?

私の名前は、「誉樹」と書いて「たかき」と読みます。

母方の祖父が、森下一族の中で、
もっとも誉(ほま)れの高い、大きな樹になれと、
付けてくれたと聞いています。

この話は、弊社ホームページの森下誉樹物語にも
書いていますので、親しい方にはお話したこともあると思います。

先日、叔父が亡くなりました。
(この事は、近い内にブログにアップしたいと思います)

実は、その時に、
私たち家族の、名前に関してのエピソードを、
あらたに、耳にしたのです。

私は、3人の男兄弟の長子です。
長男「誉樹」
次男「吉伸」
三男「泰成」という名前をいただいています。

いままでは、
長男「誉樹」は、母方の祖父が命名し
三男「泰成」は、今回なくなった叔父さん(親父の兄)が命名した。
ところで、次男「吉伸」は、
なぜだか、近所のハヤカワの時計屋のおじさんが命名した。

このことは、「なんで、俺だけハヤカワのおちゃんやねん!」と
次男「吉伸」が、ネタにして
周りの笑いを取るというのが、
我が一族では、定番のコースでした。
なんか、上下の兄弟は、大事にしてもらっていたのに、
自分は、外注?で決められた・・
なんか省略した^^?そんな感じでした。

お通夜や葬儀の時には、
昔話に花が咲きます。

笑い話、思わず涙が出てくる話
もう亡くなった人をこき下ろしてみたり
すごく美化してみたり

そんなやり取りのなかで、
お袋が、私たち兄弟の名前をつけて状況を
あらたに、話してくれたのでした。

「誉樹、あんたが生まれた時には・・
 一族で始めての男の子で、みんなが名前を付けたがった
 礼一おじいさん(父方祖父)三次おじいさん(母方祖父)
 おとうちゃん、おにいさん(叔父)・・
 それでもめてね。小さな紙に、それぞれの候補名を書いて
 小さかった由美ちゃん(いとこのお姉さん)に、拾ってもらったの
 その名が、三次おじいさんが付けてくれた名前だったんだよ」

「へ~そんなことやったや。なんかびっくり、
俺さあー、なんで親父は、名前付けてくれなかったとも
思ったことあったんやけど、今その謎がとけたよ」

つまり、私は、まわりの皆にとても、歓迎され
可愛がられて、この世に生まれてきた。
由美ねーちゃんとも、そんな縁があった。
なんだか、とても、暖かい気持ち
なくなったおじいちゃんたち、親父、叔父さんが、恋しい気持ちが
とても強くなりました。

三男「泰成」のことは、私自身もう10歳でしたので
生まれた時のこと、叔父がネジリ鉢巻きで
名前を検討し、命名したこと、
また、息子の名前を、兄に命名させるくらいですから
とても、父と叔父の兄弟仲がよかったこと
そして、どれだけ、みんなが「泰成」を可愛く思っていたかを
よく覚えています。

それで、やはりこの展開で、
気になるのは、次男「吉伸」のこと・・
なんだか、かわいそうとおもい
お袋に、改めて聞いてみたのです。

「おかあちゃん、ところで何で
吉伸は、ハヤカワのおっちゃんの命名なん?
たしかに、ハヤカワのおっちゃんは、博識で
多くの村の人たちの名前を付けたって聞いたけど
おとうちゃん、名前付けたなかったんかな?」

「そんなことないよ・・
たしかに、ハヤカワさんには、アドバイス
もらったけど、そうでないの・・」

「えっ?」

「吉伸の名前は、お父ちゃんが考えたの!
 ほら杉吉(親父の名前)から一字を取って
 何個も候補を考えて、悩んで、悩んで
 それで、助言をもらったのが、ハヤカワのおっちゃん
 で、決まったのが、吉+伸 真っすぐ伸びるいい男の子に
と、願いを込めてつけたんだよ」

「ええ!ほんまや!今はじめて気がついた。
たしかに、親父の一字を取ったのは、吉伸だけ。
ほんま、吉くんよかった・・・」

私たち兄弟3人それぞれに、
親父が注いでくれた愛情を
なんだか、とても感じてしまい

不覚にも、涙が出てしまいました。


・・・・・・・

とても、長い話を読んでいただき
ありがとうございます。

最近、ひすいこたろうさんの
「人生が100倍楽しくなる名前セラピー」
という本を読みました。

その中に、こんな事が書いてありました。

かわいいのにモテない女の子の特徴

「それは、自分の名前と、お父さんが嫌いだということです」

というものでした。

自分の名前が嫌いだと言う人の多くは、
親を受け入れていません。

そして、それは、結局自分を受け入れていないということに
つながっていたのです。

自分を受け入れていないのだから、
他人のことはもっと受け入れていない。
だから、恋愛が長続きしない・・

これが、ひすいさんの洞察でした。

たいへん、ドキリとしました。
娘の父として、両親の子として。

ひすいさんの洞察は続きます。

名前を好きになる。
名前に誇りを持つ。
そこから自分らしさは出てくる。
自分をもっとも象徴しているのが、
自分の名前。
名前を大切にすることは、
自分を大切にすること。

自分の名前を紙に書いてみて、
よく見て感じてほしい。
あなたの名前は、実は愛でできている。
名前をつけるときに、
「この子に不幸になってほしい」と
願って名前をつけた親はいない。

今、どんなに親を許せないとしても、
「あなたに幸せになってほしい」という
親の思いが、あなたの名前に宿っている。

自分の力で、絶対に起こせない奇跡がただひとつある
それは、生まれてくること。

生まれたことは、
あなたの両親が起こした奇跡。
自分の原点は、両親なのです。

親になったひとは、分かります。
幸せになってほしいという親の祈り、
それが、名前だと。

親が亡くなっても、
名前を通して、
私たちは、一生
親の祈りとつながっている。

なぜ生まれてきたのか?
何をしてゆくのか?

その答えが
自分の「名前」の中にあります。


あなたの名前の由来はなんですか?

# by takakimori | 2010-02-11 17:00 | 後輩に伝えたい

ブログ再開します!

皆様 こんにちは!

大変長らく、休止しておりました。
ブログを再開いたします。

ちょっと、思うことがありまして、
一年以上のそのままにしておりました。

それで、また思うことがありまして、
再開することといたしました!

テーマは、「自分の人生の花を咲かそう!」

父母から、もらったこの「初心」
大事に生きたい、今そんなことを思っています。

# by takakimori | 2010-02-10 09:30 | 今日の花

楽観主義

よく「楽観主義」と「悲観主義」という話がでますよね?

つまり、どちらがいいのかという議論です。

親友に紹介されて読んだ本
興福寺貫首:多川俊映さん著作
「心に響く99の言葉」の冒頭に
すばらしい言葉の紹介がありました。

フランスの教育家アランの言葉
「楽観主義は意志で、悲観主義は気分である」

いかがですか?
真理とはこういうものだと、
核心が簡潔に凝縮されて言われていますよね。

世の中に今流れている
多くの言葉は、気分から来ています。

「百年に一度の不況」とか「先行き不安」、

そうです。こういった言葉は、
世情を客観的に分析したような言葉に見えて
実は、ただの気分の表現だったりします。

やはり、人間なら
日々を自分の意志で生きたいものです。

「なんとかなる。」
「なせば成る。」
「自分次第で人生は変わる。」

楽観論で人生は行けないと
言う人もいると思いますが、
意志あるところに人生ありではないでしょうか?


今年は、楽観的に進みたいものです。
悲観的にならず、なおかつ慎重に歩みつつ・・


追伸

私は、楽観主義と悲観主義とでバランスをとりません。
楽天派と慎重派でバランスをとります^^!




# by takakimori | 2009-01-14 10:15 | 後輩に伝えたい

パパとよばないで!

このタイトルを読んで反応した人は、1960年代生まれです^^!

”チ~坊~”なつかしいですね。
http://www.biwa.ne.jp/~mr-copa/papa.html

昨日新学期が始まったのですが、
小2で次女の頌子からこんな宣言?をされることになったのです。

「今日から、パパと呼ばないから!」
「エッ・・・?」

彼女がくわしく理由を教えてくれました。

「あいちゃん(中2:長女)が、大きくなって”パパ”のことを”パパ”と呼ぶのは
はずかしいので、ことしから”おとうさん”とよぶからっていったから、
しょうこも変えます!」

そして、
後ろで聞いていた長女と並んで

「おとうさん、よろしくお願いします!」

長女が生まれて、
ずっとパパと呼ばせていましたから
ドッキとしました。


言う方もテレていましたが、
なんかテレました。

そして、なんだか
ちょっとさみしかった。

こうやって、だんだん大きくなって
いくんですよね。

いいことですね^^

はは



追伸

明日から
新年最初の見学会です。

恒例の福袋あります。
三木ちゃんと岡里さんと森内さんが
パッキングしてくれました。
ニッコリしてもらえるとうれしいな!

# by takakimori | 2009-01-09 09:58 | 今日の花

新年あけましておめでとうございます!

皆様 新年あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いします。

とても久しぶりのブログ更新です。
故合って中断していましたが、
今年からは、ぽつぽつ書き込みをしてゆこうと
思います。


しかし・・・この年始年末は暗かったですね。

不況、不況の連呼で
あんまり、気にしないたちの私でも
「なんだかなあ・・」

そう思ってしまいました。

で、今年のお正月は、TVも新聞もほとんど見ませんでした。

でも、何もこまりませんでした。

むすめたちと遊んだり
女房と世間話したり

親族のみんなと食事したり

とても幸せなひと時でした。

私は、なんといっても家族と仲良く暮らせることが
一番だと思いますし、

私のまわりは、すべてに
満たされているように思いました。



私思います。

日本という国は大丈夫。

どんな時代になっても
心は、泥につからない。

たいせつなのは、
生きてゆく目的をいつもかみ締め
生き方の基準を確認して
前進してゆけばいいと・・

失敗は、失敗でなく
失敗は成功の元

そんな言葉を胸に
今年もたのしんで生きたいと思います!

# by takakimori | 2009-01-06 10:30 | 今日の花

自分へのラブレター

お久しぶりです。
川上健一さんのエッセー「ラブソング」にいい話が載っていましたのでご紹介します。

===================================

自分へのラブレター

得意先からの帰りだった。
もう夕方で、帰宅する大勢の会社員とすれ違った。

建ち並ぶビルの群れを見上げて思わず吐息をついた。
残業でバテ気味だった。その日も遅くまで残業になりそうだった。

小さな公園の前にやって来た時だった。
突然、目の前がまぶしく輝いて目を細めた。
ちょうどビルの隙間から夕日が射していた。
周りの景色が赤く染まっていた。

あったかくてやさしい夕日だった。
なぜか祖父の笑顔のようだなと思ってすぐに、
そうだ、今日は俺の四十歳の誕生日だと、ハッと気がついた。

赤い夕日が、「おめでとう。約束は?」という
祖父の笑顔に見えた。

分ったよ。いまやるよ。
私は夕日の祖父に向かって笑った。
会社でも家でも書く暇はなさそうだった。

公園のベンチに座った。
手帳を取り出した。ペンを持って少し考えた。

ラブレターを書かなければならなかった。
自分へのラブレターを。

誕生日に自分へラブレターを書く。
死んだ祖父と交わした約束だった。

子供の頃、気弱な私は何かあるとふさぎ込んでいた。
そんな私に祖父がいったのだ。

「毎年、誕生日に自分へのラブレター書くんだぞ。
こういうところが嫌いだけど、でもこういうところは好きだから頑張れって。
そうすればいつも自分が好きでいられる。」

誕生日に自分へのラブレターを書くのは代々続いている
我家の家訓だ、と祖父は言った。
父に確かめたら、そんなのは聞いたことがないと笑っていた。
たぶん、私を元気づけるための作り話だったのだろう。

だけど、大好きな祖父との約束は破りたくなかったので、
毎年誕生日に自分へのラブレターを書いた。
嫌いなところや、好きなところを書いて、頑張れと結ぶと、
不思議にホッと安心することができた。

いつものように書いて頑張れと結んだ。
何か物足らなかった。もっと何かを自分にいいたい気分だった。
四十歳という区切りのいい誕生日だからかもしれなかった。
いつも書こうと思って、照れくさくて書けない言葉が浮かんだ。
迷ったけど決断した。

まあいいか。
ラブレターだからな。四十歳の区切りのプレゼントだ。
そう思えたのは、ちょっと大人になったということなのだろう。

----俺は、お前のこと好きだからな。

意外にさらりと書くことができた。

文面を見ていたら、空っぽな身体の中に、
見失った本当の自分が戻ってきたような気がした。
何だか身体が熱くなった。

「さあてッ。今日は仕事を早くやっけて家に帰るかあああ!」
と声を出していって両手を上げて背伸びをした。

立ち上がって歩き出した。
町の景色が違って見えた。
いきいきと活気にあふれていた。
いい気分だった。

==================================

川上さん、ありがとうございます。
何だか元気をいただきました。

わたしの大切な人たちにも
贈りたいです。

# by takakimori | 2008-07-09 19:44 | 後輩に伝えたい

魂の飢餓の叫びは・・・

「魂の飢餓の叫びは、誰の耳にもとどかない」

                     ギンズバーグ

人は皆、孤独で
あなたの魂の叫びも苦しみも
誰の知ったことではない。

厳しいけど、
そういうものだ。

でも、
人は孤独だからこそ、
人と愛し合う。

すばらしい人や
仕事に巡り会った時

そのことに気付けた時

こころから
うれし涙を流す。

寂しいのは、あなただけじゃない。



# by takakimori | 2008-06-20 20:21 | 後輩に伝えたい

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